くりかえす

ドトールチェブラーシカのステッカー欲しさに冷たいフローズンヨーグルトみたいなの頼んで、そこしか空いていなかった窓際の席に座ったら眩しくて本も読めないし、とっても頭が痛いです。ばかだなあ


今年はフェス行かないので、皆が行ってるのが羨ましくもあり、でもそこまで気が向かなかったんだから仕方ない、というのもあり。
どこかに行きたいというよりも、誰かとじっくり喋っていたい。人と会ってるときは楽しいんだけど、あんまり誘えない。これが全然変わらない。いつも人任せ成り行き任せ。


カルディに避難して飲んだバードフレンドリーコーヒー、すっぱーーい。けど夏はこういうのも嫌じゃない。
新都心をふらついてて、4〜5年前と行動パターンも考え方も全く変わらない自分に愕然とした。ブログでも繰り返し同じこと書いてますよ。でもカルディに来るのはひとりがいいんだ。こうして「ひとり…好きだもん……」とか言いながら30代になり40代になり時代は巡って孫も子もいない老婆がある夏の日に異臭とともに孤独死しているところを発見されるのでした☆
不謹慎でしょうか。ニュース見てたってそういう自分の想像をしてしまうのです。前に新聞のコラムで藤原智美氏が、孤独死とは周囲が推測した状況であって本人が実際孤独だったかどうかはわからない、そもそも人は一人で死んでいくのだから全員孤独死だ、というのを書いていた記憶があるけれど、確かに孤独の量は計れない。皆少しずつ孤独で、完全には孤独でない。
でも死んだあとに誰かが泣いてくれますように、あああそこのおばあちゃん亡くなったんだ、と少しは気にしてもらえますように、お葬式あげてもらえますように、家族の墓に入れますように、あれわたしお葬式あげてもらうために結婚・出産したいのかしら。